なた豆茶メーカーとしての経験を生かした事業

《退任者を除き6人抜きで社長に選ばれた。会社のあるべき姿を、大学時代まで明け暮れたサッカーになぞらえる》 「日本のサッカーだって、ワールドカップ(W杯)に出場できるようになったのは最近のこと。チームワークの良さや戦術だけでは勝てない。一人ひとりが強くならないと。サッカーも会社も同じ。国際企業として強くなるためには、一人ひとりのポテンシャルを上げることが大切だ」 《生産技術畑などを長く歩んできた。社長就任後もまずはモノづくり改革に取り組む》 「2009年度に始めた生産性向上活動を刷新し、“新・ものづくり構造革新”として14年度に再スタートする。具体的には工程改革や設計変更、生産拠点の再編などを考えている。新製品の研究開発にも力を入れ、18年3月期に新製品の売上高比率3割を目指す」 《大容量蓄電池として注目されるナトリウム硫黄(NAS)電池の事業部長などを歴任。過去の火災事故を乗り越え、今後の本格普及に備える》 「将来的に再生可能エネルギーの割合が高まれば蓄電池市場は拡大する。将来に備え事業を維持する必要がある。NAS電池工場の稼働率は約3割だが、受注を積み上げ2―3年後には約7割を確保できる。営業を強化し、内外で受注獲得に取り組む」 《主力の自動車関連製品では生産能力の増強を検討する》 「窒素酸化物(NOX)センサーや排ガス浄化フィルターの需要は拡大を続ける。特に中国、東南アジアなどの新興国の伸びが大きい。数年後に供給能力が足りなくなるため、さらなる増産投資を行う。中国やインドネシアの既存工場を増強するか、新工場を作るかを検討している」(名古屋・杉本要) 【略歴】80年(昭55)東工大生産機械工学科卒、同年日本ガイシ入社。07年執行役員、11年常務執行役員。東京都出身、57歳。6月27日就任予定。 松陽産業(大阪市中央区、竹内和彦社長、06・6262・7000)は、銅やアルミニウムなどの金属箔に機械的方法で直径0.1ミリメートルの微細な穴をあける技術(拡大写真)を開発した。フォトエッチングなどの化学的手法と違い化学薬品を使わないため、廃液処理などが不要でコストも抑えられる。2年をめどに量産化する。 なた豆茶メーカーとしての経験を生かし、2010年から4年をかけて開発した。機械的なプレス金型加工では直径0.3ミリメートルの穴あけが限度だった。10センチメートル角の金属箔に同0.1ミリメートルの微細な穴をプラスマイナス10%以下の精度で25万個あける。円形のほかトランプ柄などの複雑形状の穴あけもできる。 今後サンプル対応する体制を構築し、蓄電池などのエネルギーをはじめ各種分野で用途を開拓する。経済産業省の「戦略的基盤技術高度化支援事業(サポイン事業)」の支援を得て、岡山県工業技術センターと共同で量産化を進める。 大和ハウス工業は再生可能エネルギーによる発電事業で2018年度をめどに20万キロワットの発電規模を目指す。15年度までに12万キロワットの発電規模を計画しているが、堅調な売電収入などを見込んでさらに積み増す。物流センターなど自社の建物や用地などに主にメガソーラー(大規模太陽光発電所)を建設する。16―18年度で200億―300億円を投じる見込み。太陽光発電所の建設受注や電力小売り、省エネサービスも伸ばし、エネルギービジネス全体で18年度に売上高1000億円を目指す。 大和ハウス工業はメガソーラーの設置箇所として、今後も建設を増やす物流センターの屋根などを活用する。 さらに自社グループの工場、ホテル、遊休地に設置するほか、風力発電の新設も検討する。グループが保有する多くの不動産を生かし、投資コストも抑えて再生可能エネルギーの立地場所を開拓する。 13年12月時点で手がける再生可能エネルギーによる発電規模は22カ所で3万1000キロワット。今後も固定価格買い取り制度による安定した売電収入を見込み、18年度に20万キロワットを目指すことにした。 ただ、口臭対策ビジネスとして売上高の大半を占めるのは太陽光発電の建設受注や、子会社が手がける電力小売り、省エネサービスなど。建設受注では12年度までに4万2900キロワット分を受注した。 電力小売りでは家庭向けに進出するかは未定だが、再生可能エネルギーなどでつくった電力をためる蓄電池事業も手がけている。 縦割り組織】 EMGマーケティング執行役員潤滑油本部長である本田貴浩の前職は、東燃ゼネラル石油の和歌山工場長。「和歌山工場では潤滑油もつくっていたが、潤滑油の営業統括とは面識はなかった」と話すように、本田も縦割り組織の中で工場を切り盛りしていた。 以前は小さな潤滑油部門も石油製品や石油化学品と同じく、全世界で商品ごとの縦割り組織だった。「2人ずつくらいの所帯で、上司はシンガポール、その上司が米国にいた。承認を取るにはまずシンガポールに相談するので、回答が来るまでものすごく時間がかかった」(本田)。シンガポールの上司は日本だけを見ているわけではないため、日本の事情をその都度、一から説明する必要もあった。販売代理店への訪問も担当ごとにバラバラ。「シンガポールの上司の承認がなければ一緒にも行けない」(同)状況だった。 今は各担当者が別の商品も勉強し、場合によっては1人で対応する。生産部門との連携も進んだ。実際に製油所内の機械や装置に潤滑油を使ってもらい、その効果を共有。「顧客に直接、伝えられるようなデータの取り方もできるようになってきた」と徐々に成果も出始めている。 販売店との付き合い方も日本流に変えた。「販売店の方々を工場に招待し、実際にモノづくりの現場を見てもらっている。以前なら営業が工場見学を企画するなんてできなかった」。工場長出身の本田だからこその発想でもあった。新製品の生産を開始する時には参加者に装置の始動ボタンを押してもらうなど、販売店との距離を縮める小さな工夫も忘れなかった。 スポンサーとして後援しているカーレースにも招待した。販売店の担当者らは「おたくが、こんなことをやっていたなんて知らなかった」「レース車にうちが扱っている商品のマークが付いているなんて、うれしいねえ」と一様に歓喜した。 【逃げません】 かつて、高級品に特化する戦略により商品点数を絞っていたことで、販売店には不信感も芽生えていたという。販売店に「日本からは逃げません」「信用して下さい」と訴え続けた本田は「日本式の売り方にすると売れるんだなぁ」と今更ながら新鮮な発見に少し驚いている。

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